マリーローランサン展で唄う
3月26日、富山県立近代美術館のマリーロランサン展で唄いました。
初期から晩年までの油絵やエッチングなどに 囲まれてコンサートをしたのですが また格別な気持ちになりました。
ローランサンというと 淡いパステルカラーの肖像画、あのエレガントで華やいだ婦人たちの雰囲気が 思い出されますよね。 私もそういう絵しか知らなかったのですが、 今回初めて 画家の素顔や 想念といったものを感じることができました。
私もよく唄っている 19世紀の詩人 ギョーム・アポリネールの詩集「アルコール」にある ミラボー橋。
ローランサンとは きってもきれない縁のある詩です。アポリネールとローランサンは若い頃 恋仲でした。 ローランサンは その頃、モンマルトルにある ピカソのアトリエ 洗濯船に出入りする多くの画家や詩人たちの胸をときめかす 魅力的な娘でした。 でも恋人アポリネールがルーブル美術館のモナリザを盗んだと疑われ 警察に拘留される。 結局 疑いは晴れたのですが これがきっかけで二人は別れ 憔悴しきったアポリネールはミラボー橋の上にきて この詩を書いたといわれているのです。
まあ、これはエピソードなのでしょうが、実際 アポリネールはひどく嫉妬深く ローランサンはほとほと嫌気がさしてもいたようです。 ミラボー橋を生み出す詩人としてのアポリネールと 恋人を拘束するくせに自分は浮気者のアポリネール。 こんな男に愛されたら災難です。 天国と地獄を行き来するような不安定な状況におかれ 心の休まるときはないですよね。 その後のローランサンは 「パッシー橋」
というリトグラフにアポリネールを猿として描いているようです。 これなども 二人の緊張関係が感じられて すさまじく傷つけあったのかなぁとため息がでます。
猿は人間に一番近いけれど 人間じゃない。 ローランサンは きっと未練もあり 憎くもあり自分の気持ちを収拾しかねたのではないでしょうか。
事実、亡くなる時、アポリネールの手紙とバラを胸に抱きしめていたという話は 心が痛みます。 まさに孤独なローランサンの唯一の男であったのか・・・と。 アポリネールはローランサンと別れて数年で 流行の病にかかって亡くなります。
後年のローランサンの絵は パステルカラーで美しく人気もあります。 でも私は初期の まだ怖いもの知らずの 初々しい絵が好きです。
完成度においては後期の絵に 劣るとは思いますが。 まだ外界に向かって 心を開いていると感じます。 自分の未来に夢や希望を抱き、若い娘の傲慢さも感じられ 得意気な顔が目に浮かびます。 後期のものは 閉じられた世界、ちょっと反発を感じるけれど そっと覗いてもみたいような 秘密めいた また孤独な匂いがします。
ローランサンは大変な嵐の中に身を置いたと思う。 第一次、第二次大戦によって亡命をよぎなくされもしました。また飛び込んだ絵画の世界もまさに改革の時。 キュービズム、フォービズムの旗手、ピカソやマチスに囲まれ 自分の才能に自信を失い 絵筆を折ってもおかしくない状況の中、 それでも、自分の世界を確立したローランサン。
強くしたたかに生きた女性の絵に囲まれて 唄えたのは 私にとっても 大いなる勇気をいただけた出来事でした。
また、富山の皆さんに 大変喜んでいただけ 幸せでした。
当日は 350人くらいの方が 円形の壁面に飾られた ローランサンの絵をご覧になり、そして私の唄に耳を傾けてくださいました。
本当に ありがとうございました。
また 富山に伺いたいと思います。 富山の方は本当に奥ゆかしく 街角で道案内をしていただいても 「 ここで お別れするのが惜しい!! 」と思ってしまうような 素敵な応対をしてくださる方ばかりでした。
また 行きます!
2006年3月30日
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