2007年3月21日〜3月31日

3月31日(土曜日)ラーメンよりうどんより蕎麦
ラーメン党の執心ぶりというのは、凄いらしい。 たまにテレビなどでやっているが、信じられない。私も、ごくたまには何かの拍子にラーメンを食べることがある。 嫌いではないが、特別にどうってことはない。それより、蕎麦が好きだ。 でも、うんちくを傾けるとか、自分で打ってみるとか、そういう趣味はまったくゼロ。 近頃は退職後に蕎麦屋になる人もいるとか・・・。どこの場所で採れたそば粉で、どう打って・・など全く分らない。ふらっと散策している途中で、小腹がすいたぁ〜〜、じゃぁ、蕎麦でもといった位の軽い気分で食べる程度。 でも、ラーメンよりうどんよりあの食感といい、香りといい、私好みなのです。 美味しいざる蕎麦が食べたいなぁ。
3月30日(金曜日)野良猫が好き
住まいの近所は野良猫が多い。 子供の頃から猫と犬は飼っていたので、仲良くしている。 むこうも動物好きなのはわかるらしく、わりとのんびり応対してくれる。 野良猫だが、昔は三毛とか赤トラとかぶちなど、純日本猫がいたものだが、ご近所の猫さまは、猫ブックに登場するような、血筋のよさそうな毛並みが少し混じっていそうだ。アメリカンなんとかやシャム、ペルシャのようなやつだ。

私の好みは ブスッとしたデブ猫で、三毛やぶち、トラなら最高。 でもなかなか出会わない。

 

3月29日(木曜日)アイスクリームが好き
夏になると、子供の頃はカキ氷を良く食べた。川で一日泳ぎ、真っ黒になってカキ氷をほおばる、そんな野性味たっぷりの子供だった。 今は冬でもアイスクリームを食べるような世の中になった。 食の旬?がまったくハチャメチャになっている。 アイスクリームに旬があるかどうか知らないが。 ともかく私は、毎日、食べたくなる。 どこやらの超高級なアイスクリームじゃなきゃ!なんて事はまったくない。私はブランドというものに憧れはゼロ。 リーズナブルな値段にしては美味しいとか美しいとか丈夫とかセンス良いとか、また自分にぴったりとか、そういうのが選択の基準。毎日食べても飽きのこない、さわやか味のアイスクリームが今のマイブームです。
3月28日(水曜日)占いの客引き
歯医者に行く途中、渋谷駅の雑踏で、70歳くらいの婦人がなにやら私に近づいてボソボソ言った。小声なので、か弱そうにも思い、道案内してあげなきゃいけないかなぁと思って、さほど急いでなかったので、足を止めた。 そうしたら、言うではないか!「あなたはとても今、良い運が来ています。」いわく「ちょっと手相を見せて」いわく「この運を逃さないよう〜うんぬんかんぬん」。いつもの私なら、「お話している時間がなく、急ぎますから」とやり過ごすのだが、なんとなくその老婦人が良い感じだったので、立ち止まってしまった。そこへ先生という中年女性が現れる。 はは〜ん、こうやって客引きをやるんだなぁと思う。 以前も西武線の保谷駅前で、50がらみの女性から同じようなつかみで声を掛けられた事があった。これで2度目だ。私は占いは信じない。占いで人生乗り切れるなら、世の中万々歳だ。不幸な人は誰もいないはず。何かのヒントにはなるだろうけど。病人を抱えているような人は、すがりたくなるのはなんとなく分る。 人間いつも元気溌剌というわけにはいかないし、こうやって近づくのは罪だと思う。本当に金儲けではなく救済してあげるならいいけど。
3月27日(火曜日)馬鹿は加齢変化しない
友人が昨年、春に手首を骨折した。急な下り坂道で自分の靴のひもを自分で踏んでしまい、あっという間もなく前方にぶったおれ、左手だけで体を支えたのが原因。 最近、もう一人同じように家の中で転び、やはり手首を骨折した知人がいた。ちょっとした不注意で大怪我をすることは良くあるらしい。落ち着いてますねぇ、と私は良く言われるのだけれど、どっこい、すごくオッチョコチョイなんです。ところが、意外や、反射神経が見かけによらず良いらしく、間一髪、怪我という疫病神から、逃れ逃れてこんにちまで無事だった。

今後は、衰えるばかりだろうから、気をつけなきゃと思いつつ、気持ちだけは昔と変わらないし、動けるつもりで無理をしてしまうから困る。 本当にどうして気持ちは何年たっても娘の様!!に変わらないのか〜馬鹿なのか〜加齢変化は残酷だ!鏡よ鏡・・・・・

3月26日(月曜日)髪型
髪型は、ほとんど変えない。 考えるのが面倒という事もある。 若い頃はああでもない、こうでもないと考えたものだが、そういう時間があったら、他の事をしたい。 それでも毛髪が痩せる、抜けるという加齢変化がしのびよる。カツラは、これも面倒なので、自前でなんとか〜と思い、髪型を変えた。 そうしたら、思いがけないことに「若返った」と良く言われる。

そういう言葉は若い人には言わないだろうから・・・新しい質のショックを受けました。人は誰でも 他人から言われたり、扱われたりして「そうかぁ、そうなのかぁもう、ババアなんだぁ」と自覚するのかもしれない。 シルバーシートを譲られる時、私はどう思うだろうか。

3月25日(日曜日)フェレを唄う
久しぶりにレオ・フェレをたっぷり唄うコンサートをした。随分長い間、お蔵入りしていたものを出して唄った。ジァンジァンが閉鎖されてからもう7〜8年になる。改めて唄おうと取り出したが、あまり日本で受け入れられないテーマや曲調が多く、今回も躊躇した。日本では、シャンソンと言えば、どうしてもピアフ、アズナブール、アダモになる。仕事には必須のレパートリーだ。 そういうプログラムに慣れているお客様は、レオ・フェレものには緊張するらしい。 たとえ、恋がテーマでも単純なアイラブユーソングはありえない。どこかひねってあるし、人間に対する洞察力が鋭いのでちょっと辛口なテーマが多い。 それに今、大はやりの「癒し」「明るさ」には無関係。 そこが、私にはたまらない魅力なのですが、日本人は和をもって尊しとなす国民なので、すんなり受け入れてはもらえない。辛いところです。音楽もシャープで普通のシャンソンの口当たりとは違う。ノスタルジーにひたる唄でもないし、ほろ酔いで聴けないから、緊張するのでしょうね。こういうシャンソンを面白がって聴いてもらえるようになった時は・・・日本の風土も大分変わっているでしょうね。 「唄は世につれ」とは言いえて妙です。

3月24日(土曜日) 精神は顔を変える

フィギュア・スケートとサッカーをこの数日テレビ観戦で楽しんだ。ともかく、フィギュアは、それぞれに個性的で美しい演技に見ほれた。演技もさることながら、精神力に感心する。 たった一人で、世界の大舞台で演技するのは、ものすごい緊張だろうと思う。それを十代でやるんだから、大したもの。 天真爛漫にやれた時期を過ぎ、色々なプレッシャーに人は押しつぶされる。 その試練によって、鍛えられるのだという事を、目に見える形でこの数年見せてもらった。

そして乗り越えた者だけが、至福の瞬間を味わうことができる。 それは順位ではなく、個人個人の思いの強さによって得られる嬉しさだろうと思う。
サッカーの高原も顔つきが違った。もちろんプレイにも凄みが加わった。 人は変われるんだと証明してみせた。 精神的なものって顔にでるんだと思う。

3月23日(金曜日) 襟を正す
昔の人はたいしたもんだ、と思う。 NHKも槍玉にあがっているけど、良い番組もたくさんある。けして派手ではないが、確かな仕事を残した人たちを紹介する番組が最近多い。 お金や名誉のためではない、無欲な生き方を知ると、日本人の謙虚さ、美点は今どこに行ってしまったのかと、現代人の不甲斐なさを恥じる。彼らは物事の尺度が現代人とは違う。本当に凄いと関心する。 自分が信じた事をとことんやっていく、あのエネルギーはどこから出るのだろうか。確かに、時代が作る精神風土というのもあるとは思うが、同じ時代に生きた人間、誰もがそう生きられるわけではないから、やはり個人の資質、思いの強さなのだろうか。襟を正す・・・そんな気持ちになる。
3月22日(木曜日) お彼岸
両親のお墓参りは、何年もやっていない。静岡にあるので、つい足が遠のくのだが、ともかく親不孝ものです。その罪滅ぼしというわけではないが、知人のお墓参りにここ10年くらい通っている。私は若い頃より、神社仏閣が好きだ。お線香の匂いも心が落ち着くし、通りすがりのお寺、神社、お地蔵さん、何でも拝んでしまう。無宗教だから、信心深いわけではない。

山門を入り、石畳を歩き、階段をあがり、お賽銭をあげ、こうべを垂れ、拝む・・という形式的な儀礼をやっていくうちに心がシンとなる。 この気分が好きなのだ。世の中、騒々しくて気持ちが静かになる瞬間は意識して作らないといつでもワサワサしてしまう。 知らないうちに深部がどんどん侵食されてしまうような気がする。 お寺でたまに真っ白な自分に向き合うのもいいなぁと思う。 

3月21日(水曜日) ギャラリーコンサート

高麗川駅近くのギャラリーで唄った。都心まで出られない人たちが、普段着の気分で聴きにいらしてくださる。こういう会はアットホームなのがいい。オーナーの人柄が反映され、打ち上げも手料理だ。あまり飲まない私ですが、今日ばかりはほろ酔い。女子高校生にも聴いてもらい、「こういう唄は初めて〜とっても良かったです!」と好奇心に目を輝かせる。メロディがあり、普通のリズムで、語りもあったりという情感たっぷりの唄は、多分知らないのだろう。若い人は、リズム先行のノリの良い音楽の洪水の中にいるだろうから。

かえって私のような唄は新鮮なのかもしれない。彼女たちは、ピアニスト、マリンバ奏者、スネアドラマーとミュージシャン志望だから、「どうしたら、呼吸がぴったり合うんですか?私たちハチャメチャになっちゃう」と自分たちの課題を感じながら聴いてくれたらしい。また、妙齢(?)の女性たちは、「聞いたことのないシャンソンが、却って面白かった!」と言ってくださったので、今日は万々歳! レオ・フェレを唄った甲斐もあった。 こういう会だと、疲れもふっとびます。


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